2022年02月15日

五社協定が創りあげた「銀幕のスター」から現在のスターのあり方

五社協定が創りあげた「銀幕のスター」から現在のスターのあり方

昭和の時代、誰もが憧れを抱いた雲の上の存在「銀幕のスター」。
銀幕のスターとは今や死語となってしまったが、日本の映画史上や流行発信のルーツを語る上ではなくてはならない存在です。

銀幕のスターは今でいうファッションアイコンであり、若者たちは憧れのスターが演じた役柄のファッションから言動・行動までも真似をする流行発信源でありました。

手の届かない存在であり、こよなく憧れる存在であった銀幕のスターはどのようにして創られてきたのでしょうか?
銀幕のスターを生みだした背景と、現在にも形を変えて残る流行発信のあり方をみていきます。

『銀幕のスター』を生みだした五社協定

『銀幕のスター』を生みだした五社協定

『銀幕のスター』とは、映画全盛期だったころ映画に出演していたスター級の俳優・女優のことです。
かつて日本の映画業界は松竹、東宝、大映、新東宝、東映、日活の6社により運営されていましたが、俳優・女優・監督は各社に専属として所属していました。

その中で、日活が戦前以来の映画制作を再開しようとした際、他社に所属している監督や俳優・女優の引き抜きを行おうとしたのです。
各社は映画制作の要である監督や看板俳優・女優を引き抜かれてはたまらないと、日活の動きを阻止するために松竹、東宝、大映、新東宝、東映の5社で五社協定審議会を開き【五社協定】が結成されました。

五社協定で協議された条約は5章15条からなり、以下の内容が申し合わされたのでした。

1.各社専属の監督、俳優の引き抜きを禁止する。
2.監督、俳優の貸し出しの特例も、この際廃止する。

参照【参考】五社協定|ウイキペディア

日活は1954年から本格的に映画制作を再開し、石原裕次郎・三國連太郎・津川雅彦・小林旭などの俳優や女優では月丘夢路・南田洋子・浅丘ルリ子・吉永小百合など独自の大物スターを発掘することに成功し、他社からの引き抜きで運営する目論みはなくなったのです。1958年には日活も五社協定に参入し【六社協定】となりました。
(後に新東宝が倒産し五社協定に戻ります。)

六社協定では「スターを貸さない、借りない、引き抜かない」を掲げ、各社しのぎを削り数多くの映画の制作を行っていました。
この様に日活の初期の動向により結ばれた協定で、各社が独自の監督・俳優・女優を発掘し囲い込みを行いスターを創り上げていったのでした。

映画制作各社が専属という囲い込みを行ったことで、各々の路線で特徴を生かした作品を製作し看板俳優・女優を売り出し神秘的で、カリスマ的な象徴となっていきました。

『銀幕のスター』は流行発信源

『銀幕のスター』は流行発信源

『銀幕のスター』はまさに浮世離れした美男・美女ばかりでした。そんな『銀幕のスター』が出演する映画が上映される度に流行が生まれたのでした。

劇中で流れる歌は流行歌となり、子供から大人までが口ずさみ街中に流行歌が流れていました。
また、憧れの俳優・女優を真似た格好をした同じような若者たちが街中を闊歩していました。

その象徴的なのが石原慎太郎が書いた小説を、弟の石原裕次郎主演で映画化され大ブームを巻き起こした「太陽の季節」です。

石原裕次郎は180㎝の長身で手足が長く日本人離れした容貌で、ヤンチャでプレイボーイな振る舞いに若者たちは酔いしれました。石原裕次郎が演じた役どころのファッションを真似し、「太陽の季節」の映画に描かれていた青年男女のように奔放に行動する若者は『太陽族』と呼ばれていました。

テレビの普及と映画業界の衰退

テレビの普及と映画業界の衰退

数多くのスターを生みだしブームを巻き起こし順風満帆に見えていた映画事業ですが、時代の流れと共に変化していくのでした。

昭和28年にテレビ放送が開始され、昭和30年代には皇太子殿下(平成の天皇陛下)のご成婚や東京オリンピックなどのビックイベントがありテレビを買い求められるようになりました。テレビが急速に普及していく中で映画業界が危機感を覚えたのは言うまでもなく、一時は専属の俳優・女優のテレビドラマ出演を制限したのでした。

しかし、高度成長期による娯楽の多様化やテレビの急速な普及による映画離れに歯止めは効かず、1970年代に入ると映画の制作本数は激減していきました。時代の流れのとともに映画事業は縮小され各社は映画以外の事業興行などに移行していき、1971年には映画会社専属のスター・システムが崩壊し五社協定も自然消滅しました。

映画業界が残したものとは

映画業界が残したものとは

映画からテレビに市場が移行したことで俳優・女優のイメージにも変化が現れました。
映画とテレビの違いは、俳優・女優について一般庶民が知りえる情報量ではないでしょうか。

映画では俳優・女優のイメージは役柄で形づくられ、本来の姿は神秘に包まれてまさしく映画の世界の人達でありました。

しかし、テレビではドラマだけでなくCMやバラエティー、私生活に関する報道があり、俳優・女優の素の姿を垣間見ることができるようになったのです。

それにより、自分達と同じように仕事や恋に悩み、子育てをし私生活を送っていることを知り、架空の人物のように感じていた俳優・女優に親近感を感じるようになりました。

更に現在に至っててはインターネットが発展し、俳優や女優自ら情報を発信するようになりました。俳優・女優のSNSやブログを一般人もフォローし、ファンのみならずアンチも含めて俳優・女優の活動を見守る形になっています。

SNSやブログで仕事の様子や私生活を公開することはファンへの感謝の表れなのだと思いますし、ファンからしたらツイートへの返信はファンレターと違い確実に本人に見てもらえて繋がれる喜びがあります。
今や俳優・女優と一般人との距離感は実際には手が届かないものの、身近な存在になりつつあるのではないでしょうか。

憧れのスター達の人生は

憧れのスター達の人生は

今も昔も変わりなく俳優・女優は憧れの存在であり、そうであるがゆえに私生活も知りたいと思うのがファンの心情だと思いますが、華やかに見える芸能界で生きている俳優・女優は我々一般人が感じたことのない苦悩も多いことでしょう。

いつも誰かに見られて我々のように自由気ままに出掛けることもできず、時には息苦しさを感じることもあると思います。
また、現在では一般人が報道記者のように芸能人の一挙手一投足を監視し、重箱の隅をつつくように世論が騒ぎ立てる世知辛い世の中です。

『平成の歌姫』と称された安室奈美恵さんが多くの人達に惜しまれつつ芸能界を引退しましたが、多くのファンがいて好きな歌を家業にし華々しい芸能生活を送っていて、私達からしたらとても羨ましく眩しい人生のように見えました。
しかし、引退スペシャル番組の中で安室さんは番組制作スタッフの質問にこう答えていました。

「皆さんの方がよっぽど楽しい人生を送られていると思いますよ。」と。

我々一般人にはわかり得ない思いが沢山あったのだろうと感じずにはいられませんでした。

昭和の時代と今では芸能人のあり方も変わってきましたが、私生活も含めて憧れる存在であることには変わりありません。
また、芸能界が憧れの存在を生みだしてくれることで流行が起き、世の中に潤いを与えていることも忘れてはならないと思うのです。

芸能人は素晴らしい演技や芸で、我々の人生に娯楽を与えてくれる尊重すべき存在です。
映画が主流だったころの雲の上の存在であった俳優・女優のように、「華々しい芸能の世界の人なのだから、少しくらい羽目をはずすのも芸の肥やしの内だよ」「あの方だものいいじゃないか」と、今の世論ももう少し寛大になりプライバシーを侵害しないなど節度を持った行動をとるべきではないかと感じます。

まとめ

五社協定が創りあげた「銀幕のスター」から現在のスターのあり方 まとめ

現在ではある日突然、一般人が有名人になれる可能性がある時代になりました。それは、SNSやYouTubeなど自分発信のツールによる「新たなスターの誕生」を一般人が注目をしているこです。
そして、一般人に注目されている人を芸能界が目を付けて火をつけるという昔とは逆の流れになっています。

個性的、魅力、才能、面白さ…様々な可能性を秘めた人達を発掘する喜びに一般人が目覚め、自分が注目し応援している人が有名になっていくことを喜びに感じているのだと思います。

しかし、一気に人気に火が付き芸能界に担ぎ出された人達すべてが生き残れるほど芸能界は甘くありません。いつの間にか消えていく人がほとんどです。
昔のように芸能プロダクションに所属してスターになった芸能人と、SNSなどで火がついた俄か有名人との徹底的な違いは「引き出しの少なさ」にあると思います。一時は面白がって注目されますが直ぐに飽きられてしまいます。

本当のスター達は、様々な芸を磨き偉大な先輩方の背中を見て学び、場数を踏み個性を磨きスターとして歩み続けています。そのスターの陰にはその人の魅力をどう導くかプロデュースするプロがいるのです。
このようにスターは一人では生まれません。銀幕のスターの時代から今の時代へと時代が変わっても、変わらないことはスターを生み出し育てあげるプロが必要だということです。

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